最後の親孝行をしようと東京からコロナ禍に引っ越しをした。 漠然とした親孝行という文字。 畑や家など、世代交代をすることと、 片付けや電気仕事などできないことのお手伝い、 病院の付き添いと防犯対策、 まずはそんな程度のイメージでしかなかった。 生まれた赤ちゃんはハイハイするまで、あれよこれよと変化が早いが、...
初日から、着物の先生との時間は屋根裏部屋の着物の整理から始じまった。 私は先生が見える前に屋根裏部屋への細い急な階段をせっせと着物を担いで行ったり来たり、 先生が見えると、これは何月に着るもので、普段着か?礼装か? 一枚一枚、着物を包むたとう紙を開くたびに、へぇと個性的な柄や派手な色が出てくれば「黒柳徹子さんになる時」とし、...
「これからの女性は手に職をつけることが大切よ」と 母が結婚して間もない頃、目上の女性から助言があったそう。 それで好きな着物の道へと走った母。 師範・着付け教室・着物販売と走ること数十年。 その走りは同居する姑の面倒を見ることで終止符を打ったが、 すでに着物所持枚数は200枚ほど。 母の影響か、私も着物や日本文化が好きだ。...
瀬戸内海の東部に浮かぶ小さな島へいった。 ぎゅうぎゅうと満席のフェリーに乗り、海を進む。 着いた小さな港。 案内係のこの女性はここでどのくらいの歳月、仕事をしているのだろう。 髪の毛と大差ないほど、肌も焦げている。 どかどかと島に上陸する私たち旅行者150人。 この重さで島が傾くのではないかとイタズラに思う。 目的地への交通手段はマイクロバス。...
「僕の役目」 僕は数年前から目が見えない。 ゴツンゴツンと壁や家具にぶつかりながら歩いている。 でも最近、もっと辛いことが起きている。 僕がこの家に来たのは14年前。 生まれて3ヶ月くらいした頃、売れ残りの僕を気の毒に思って買ってくれたのはお母さん。 この家で2番目のボス。 そしてこの家のボスはお父さんという人。...
運多摩、 彼女とあったのは高校2年生のときだ。 私が美大の受験を目指していたころ、通っていた美術学校の夏期講習に彼女が参加したのが始まり。 初めて会う私に「ねぇ、目玉を触らせて」と満面の笑みで話しかけてきた。...
子供の頃、本に興味がなかった。 一般の子供が子供時代に必ず読んでいるであろうという本を全く読んでなかった。 そんな私が本へ興味をもったのはかなり遅い。 きっかけは飛び出す絵本。 すごい!こんなものを作るなんて! 絵本をきっかけに本をめくることに興味をもった私が、自分の小遣いで初めて買った本が 「女は悲しいものですか」...
さて、2ヶ月経ち、この間、何が起きたか! 開始から一カ月後のある日、 2階で先生と母と3人で発声練習をしていると下から父が上がってきたではないか! 「いやーどうもどうも、お初にお目にかかります。 家内と娘がお世話になっております」。 母と私は驚きつつも、突然の幸福な出来事にすぐに父の席を作った。...
父は一昨年の年末から急なせん妄と老人難聴が進み、耳がかなり聞こえなくなっている。 大枚叩いて補聴器を買ったが聞きにくいという自己都合で全く使わない。 そのため家族が大きな声を出して会話をするハメになった。 1番の被害者は母である。...
とある午後。 進む少子化の話を治療院のベッドに横たわりながら先生と話をしていた。 丙午生まれの私の歳は、違う意味で少子化年だったというと、 若い先生は丙午をご存知ないという。 そこで私は頭のかなり奥の奥の方にある丙午情報をひっぱりだした。 「丙と午は60年に一度だけ組み合うもので」 ここまでは大丈夫。...

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