これでいいのだ

『アトリエの卒業式』

40歳代から毎月通っていた陶芸のアトリエが今年の春に、土地のオーナーの都合で閉まることになった。

このアトリエは私の転機のきっかけを作ってくれた思い入れのある場所。

職場の戦闘(先頭)に立ち、鎧を着て、気を張った仕事ばかりしていたからか、すっかり私らしさを忘れていたことを思い出させてくれたのだ。

世の会社に勤める40ー50代の人は部下や、上司がいたり、仕入れ先、取引先や顧客がいる中で、いつの間にか対人が自分の年齢よりも若い人ばかりになっていく。

若い時代に経験した、鼻であしらわれる態度から”中年のおばさんにわかるかな?”的な扱いをされるようになる世代。

”もう直ぐ50歳なのだから、それらしく生きよう”と何から得た根拠もない情報に私も洗脳されていたのだろう。それで40代後半にたくさんの断捨離をしてしまった。

『この服や物はドキドキ&ワクワクする?』と問いながら。服は無地の黒ばかり上・下を各6枚、ワンピース・コートは各5枚を残し(極端すぎる)、靴は30足まで絞り(十分多いが)、家具も最低限にした(ガランとした部屋はコダマした)。アクセサリー、時計も本物だけ。それくらい50歳からの自分に期待と願いを込めたのか、いやいや違う。

アトリエに通い作陶していると、50歳目前の私の作るものは子供の頃から作っているものと何ら変わらない。作ってみたい!やってみたい!こんなの欲しい!と毎回ワクワクして手を動かす。それなのにそろそろ大人だからこうあるべき!と自分を縛っているのは変ではないか?と疑うようになった。

”50歳までは貯金はいくら貯めよう!” ”SNSを駆使して物を売ろう!” ”セレブリティーな暮らしとは!”全く私にはいらない情報。なのに普通に暮らしていてもこれらの情報を目や耳にする。

心から生まれる”作っていて愉しい!!”の自分には全くいらい、むしろ弊害。

アトリエで作陶している30歳前後のスタッフがポツポツと恋の悩みや、この先どう生きていっていいか悩んでいると打ち明けてくれる。

「私も最近よー、生き方が定まったのは」と応えると、皆「えー!いいんですね!今わからなくても」と安心してくれる。

その言葉を聞いて「こういうことでいいのだ!人に役立つことって」と会社員時代のこうあるべき!の態度は無駄なことだったと苦笑。

こんなことがこのアトリエで毎回あって、幼少時代の私に50年掛けて戻ってきた宇宙機関士のように、何もかもが眩しく、懐かしかった。

断捨離しようとしている人に一つアドバイス、

「5年経っても着ない服はこの先も着ない服ではなく、あなたが愛着、魅力を感じて捨てられない大切な服ということかも」。