芝美さん

心友が1年ぶりに電話をくれた。

ちょうど1日前に思い出していた心友だったのでタイミングに驚いたが、それより「今、ホスピスケアハウスにいるの。手術して奇跡的に助かりやっと話せるんだよ」と片言に告げる彼女の言葉、更に「もうここから出られないの。長くは生きられない」。

彼女のいう単語の全てがわたしの身体のあちこちに突き刺さった。

30年前に出逢えた心友がもうすぐいなくなろうとしている。

心根を話せる友だちがいなくなると思った途端、モタれる椅子の背を取られたように感じた。

実はわたしはここ数ヶ月、悶々とした思いがあり、彼女と話がしたいと思い出していたのだ。

このまま作陶していてもいいのだろうか。

好きなものを気ままに作り、それで良いのだろうか。

どんどん増やしていく作陶行為にこれまで思ったことのない思考の処理をできずにいたのだ。

「もうね、何も心配も不安もないんだよ。こんなことが起きるなんてすごいよ。神様の見えない力が動いていると思うの」

屈託なく達観して話す電話の声を聴きながら、自分のことを話して見たくなった。

芝美さん、わたしは初めて作陶していて悩んでしまったの。作って何になるのか、ただ不要なものを作っている気がして。

そう心根を話している自分の声が震え始め、涙声にならないように椅子から立ち空を覗いた。

すると彼女は片言の言葉をゆっくり繋ぎながら

「カオリンさんは作りたいのでしょ、カオリンさんの人生に必要なコトや時間なのでしょ、ならしていていいのよ。使えるもの、素敵なものどんどん作ってね」

聞いているうちに冷えていた心がぽっと暖かくなり、わたしの前回の銀座の個展で彼女が林檎の蝋燭立てを買い求めてくれた時に交わした言葉を思い出した

「わたしね、一隅を灯すという禅語が好きなの」

芝美さん

わたしこれまで何度もあなたに一隅を灯してもらっている。

 そうだね、わたしも誰かのためになるような作陶を作らないと。