100円と天国

なぜそんなことを思ったのか。

わたしは小学3年生から同居した養祖母がどんどん老いて、いつかはこの世からいなくなってしまうことに可哀想だと思いました。

あるだけのお金で暮らしている、お年寄りというのは弱いものだと思いました。

いつも寝る前に握手をしながら「おやすみなさい、また明日!」とギュッと握ってくれるので

また明日、目が覚めたら会えるんだ、と喜んでいました。

自分よりもウンと歳をとっているから、もうすぐいなくなるかもしれない、だけどわたしは小さくて

何もしてあげられないな、と思いました。

そんなある日から、わたしは廊下で繋がる離れの養祖父母の部屋にそーっとそーっと通い、

養祖母のスリッパに100円を偲ばせるようになったのです。

 

時折入る100円に養祖母は「変だね、100円が入っているけどカオちゃん知らない?」と訊かれ

「知らない・・よ」と答えていました。

そしていつしか100円を入れることをしなくなりました。

きっと私が大人になったのか、お小遣いが厳しくなったのか。

養祖母はそれから随分と長生きし、86歳で亡くなりました。

今でも時折100円が床に転がると寝る前のあの握手を思い出します。

「また、明日」会える。生きていると。