窓の向こう

ジムへ行く道路沿いに1戸建てがある。

自宅マンションから見下ろす広い庭付きの1戸建てがある。

どちらの戸建ての居間の窓から80代くらいのお爺さんが見える。

いつもレースカーテンを1窓くらい開けているので、

こちらが目をやるとお爺さんの姿が目に入る。

ジム近くのお爺さんはどうやら少し背もたれを起こしたベッドにいるようだ。

自宅近くのお爺さんは座椅子に持たれて足を伸ばしているように見える。

2人の共通点は、同じ年頃で、白髪、そして外の景色を眺めていること。

ジムのお爺さんは道を通る人が近い距離なので、こちらとしては通りながら目が合うと「覗いてごめんなさい」とうつむき小走りになるが、

自宅のお爺さんの方は私が勝手に窓から見下ろしているので私のことを知らないし、

覗かれていることなど想像もしない。

私はジムに向かう時、お爺さんが外を見ていると「今日もいる!今日もいる!今日も外を見てる!」とほっとするようになっていた。

自宅のお爺さんは朝は早いようだが、夕方にはカーテンを閉めるので

見えない時と見えるときのムラがある。

見つけると「いる!いる!あーよかった!」と安堵するようになっていた。

戦争から高度経済成長を生き、コロナ禍も生き抜き、そして今、最晩年に入っている2人。

その家には誰がいて料理や暮らしの世話をしているのだろうと、妄想はムクムク広がる。

そんな私の密かな覗き見応援をしていることなどお爺さんたちは知りもしない。

一年は経っただろうか、日課になっていたその覗き見応援に変化が起きた。

いない・・・

ジムのお爺さんが窓から見えなくなった。

あれーお風呂かな、食事?トイレ?と、そのいない日は続き、ベッドの上の不在が確実になった。

どうしたのだろう・・・思い巡らすが答えは想像の域。

すっかりジムの道路の覗き見応援は不要になり、足取りは重くなっていく。

そんな日々を過ごしていて、すっかり自宅お爺さんの応援が疎かになっていた。

久しぶりに覗き見するとレースカーテンが閉まっている。

次の日も、その次の日も、あれれ?どうしたんだろうと気にしつつ、

夜、何気に窓から覗くと、今まで点いたことのない2階の部屋の明かりが見える。

気になり、翌日も見ると点いている。

でも居間のレースカーテンは閉まったまま。

座椅子に腰掛け、陽にあたりながら庭を見るお爺さんの姿は見れなく無くなってしまった。

覗き見応援をしなかった数週間で、お爺さんの状況が変わったようだ。

もう2人のお爺さんが窓から見えることはない。

とてつもない消失感。

新たなお爺さんを探そうかな。

いや、いや、私には窓のこちら側にいるお爺さんがいるのだ。

父という92歳のお爺さんを見なくては。