厄払い

私、2026年は数えで60歳、還暦になります。

前厄払いをしていませんでしたので、周りに厄が飛んでいたら申し訳ありません。

前厄と知ったのが2ヶ月前で、もういいかと払っていません。

もしかしたら父の大腸の調子と鼻呼吸が苦しいのは私の厄?

母の胃痛が治らないのは父のせいでなく私の厄?

あれこれの見渡す調子の悪い方、

雪で滑って転んだ、喉が痛いなどを聞くと前厄払いをしていないのがそちらに飛んだ?と

身の回りの出来事にもしやと思ったりしております。

その程度で、前厄が終わろうとしておりますので、ありがたやまとしまして

数時間後に新年を迎え、本厄に突入となります。

さて、その本厄ですが、流石に還暦で60年に一度まわってくる丙午という二重の年なので、

そりゃ払っておかないと、と先ほど行ってきました、本厄払いに。

初めて訪れた厄払い総本寺、そこで数えの年の数だけの1円玉を臼にいれて、

厄払いを祈願しつつ杵で打つというのがあった。

お金を杵で打ったことはないが、トントンしていると力がありすぎたのか

1円だまが臼からぴょんと弾き飛び、下に落ちた。

この一円玉、私の一円玉なのか、先に入れていた人の1円玉か、

思いめぐらせつつ1円を広い、臼にいれた。

先の人なら「弾き飛ばしてごめんなさい」と思ったが、いれたばかりの私のかも。

そう思うと、この後に来た人に私の60枚のうちの一円玉も叩き飛ばされるかもしれないと思うと、滑稽に感じ、この臼が社会の縮図に見えて滑稽な気分になったのです。

そうだな、そんな風なことだな。

それを感じさせるための一円玉と臼かもしれないな。

そんなことを今年があと9時間で終わるという時に私の心と頭は経験したのです。

今、瞼を閉じても杵で1円玉を潰す臼の光景が瞼に浮かぶ、

これもまた、人生の財産となって刻まれた時間と経験です。