遠くなる父

最後の親孝行をしようと東京からコロナ禍に引っ越しをした。

漠然とした親孝行という文字。

畑や家など、世代交代をすることと、

片付けや電気仕事などできないことのお手伝い、

病院の付き添いと防犯対策、

まずはそんな程度のイメージでしかなかった。

生まれた赤ちゃんはハイハイするまで、あれよこれよと変化が早いが、

同じ歳月が如く、あれよこれよと老いも早い。

引っ越して5年、この間の親の老いと変調は凄まじいものがあった。

想定外だったのは90歳の父の老いに引っ張られ、

母が老いざるを得なくなっていることである。

父は84歳で趣味の畑仕事を辞めてから、何も趣味がなくなった。

すると急激に身体が動かなくなり、身体が冷えて、痩せた。

そして耳の聞こえが悪くなり、母の声が聞こえないと怒鳴るようになった。

父の鬼の形相で怒鳴られる母はそのたびに萎縮するようになり、

若さを保とうと努力を続ける母の心のバランスが侵食され始めた。

まん丸顔の母の顔に翳りができるようになり、見ていて辛くなる。

このままでは両親共倒れになってしまうのではないか。

よし!と決断し、月に数回泊まることを自分に課した私。

泊まると見えなかったものがグンと見えてきた。

せめて父が補聴器を耳にして母と会話ができればよいのにと考えあぐねた。

そんなことを思いつつ、半年経った先日。

また父が自分の物忘れで母に怒鳴り声をあげている。

「あのね、大きな声をださないで。聞いてる方が怒られているようだよ。耳が聞こえないなら補聴器をしようと歩みよってはどう?」私は父に初めて言った。

すると「補聴器は死ぬまでしない!あんなもの!聞こえないならこっちに来て耳元で話してくれればいいんだ!」と父。

「そんなこと、足の悪いお母さんが毎回できるわけがないでしょ!!」私もヒートアップ。

「昔の人は補聴器なんかないんだから、みんな周りの家族が老人に合わせていたんだ!!」怒鳴る父。

母は会話に加わらず台所にたっている。

「そんなことしていたらお母さんがストレスで倒れて、お父さん、この家で一人になったらどうするの?ホームに入ることになるんだよ!」私も倍々アップ。

すると父が顔を振るわせ大きな声で言った「ホームに入れると言ったな!!」

「言ってない、お母さんが倒れ、その先一人になって、耳が聞こえないんじゃホームに入ることになるという先行きのこと!」

「いや、お前は俺をホームに入れたいんだ!そういう頭があるから口にでるんだ!」

父の言い分を聞いてわたしは腰に手を当てながら仁王立ちしていた。

生まれて初めての仁王立ちである。

父の勝手な解釈と独りよがりの意見に都度、説明し返していたら、どんどん頭に血が登ってきた。

気がつくと60分、父と口論をしている。

これに付き合っているのだから父はやはりすごい体力だなぁと内心は感心しつつ、

より母と父の体力・気力の差を危惧し、母のために父に言い聞かせようと本気で怒った。

「お前など娘とも思わん!」という父の捨てセリフでお開きになると、泊まる予定できていた私は上階の寝室へ行った。

もう24時である。横たわっても胃が痛くて寝れない。

暖かいハーブティーを淹れに起きる。

ゆっくり飲みながら、60分の口論を振り返ってみた。

正論をいったけれど、91歳になる今の父に、適当な対応ではなかったとすこし反省した。

されとて、どうしたら母への暴言・傲慢な態度が変わるのだろうかわからない。

かっかっとして頭に血が昇ったのも生まれて初めてである。

鏡をみると顔が赤い。

その場でジャンプしてみたが、頭の血は下がらなかった。

翌日、父に挨拶もせずに帰宅した私。

あぁ、これが老いる両親をみるということなのだ。

親孝行に抱いたイメージの浅さに、自分の無知さを突きつけられた。

日増しに水分が無くなって固くなる石鹸のように、父の心も頑なっていく。

そう、ひび割れ、そりかえっていくのだ。

今の父がとても遠くに感じる。