母の着物(その二)

初日から、着物の先生との時間は屋根裏部屋の着物の整理から始じまった。

私は先生が見える前に屋根裏部屋への細い急な階段をせっせと着物を担いで行ったり来たり、

先生が見えると、これは何月に着るもので、普段着か?礼装か?

一枚一枚、着物を包むたとう紙を開くたびに、へぇと個性的な柄や派手な色が出てくれば「黒柳徹子さんになる時」とし、

ほぉと地味で粋な着物が出てくると「沢村貞子さんになる時」と着る自分のイメージを声に出し選り分けた。

仕分けること90分「はい、それではまた次回」、まだまだ先が続きそうな量をみつつ、

次回へと続き、続くこと4回目、やっと膨大な量の着物と帯の仕分けが進み箪笥の中身が尽きてきた。

母の嫁入り前の着物コート、わたしの七五三の祖母が縫った着物一式。

凄まじい量の着物の中で埋まりながら先生に尋ねた。

「この帯、1本いくらくらいでしょうね?」

「30万円以上はしますよ」

 

 

数々の思い出を見せつけるかのように着物や帯が出てきた時、

「何十年も寝かされていたよ」と小言を言われ、

また「一度しか手を通されずに寝かされたのよ」と愚痴を聞かされた。

はい、すみません。あい、ごめんなさい。

一枚一枚に侘びながら、私の心に浮かんできた思い。

”母は面倒で複雑な環境に嫁ぎ、孤独で、心晴れる時は着物の仕事をしていたときだったのではないだろうか。

こんなに買い込んでしまうほど、寂しく、したいことができず、

愉しさや優しさであふれた環境を求めて一枚一枚、望みを果たすがごとく買い続けていたのではないだろうか”。

その着物の仕事も同居する祖母が老いてきたからそろそろ辞めてほしいと父に言われ、

後ろ髪を引かれながら辞めたことを当時の私は知っている。

母はもしかしたら、祖母が亡くなった時、また、着物の仕事に復帰したかったのかもしれない。

こんなに着ない着物があると、着物お化けが出てくるぞ。

「うらめしや〜」

いや、母の着物は「うらやましや〜」だろうか。

母の求めたもの、

それはその着物を纏い、イキイキと生きる自分の姿をどこかに見ていたのだ。