運多摩、
彼女とあったのは高校2年生のときだ。
私が美大の受験を目指していたころ、通っていた美術学校の夏期講習に彼女が参加したのが始まり。
初めて会う私に「ねぇ、目玉を触らせて」と満面の笑みで話しかけてきた。
ぎょ、ぎょ、ぎょと普通なら大丈夫か?この人となりそうだが、ここは芸大を目指している学生もいて、普段の生活では遭遇しないような人ばかり。
空気で膨らます丸いプールを庭に置き、ちゃぷちゃぷしながら、
「これが海かー?」、小さく、ゆるく、自分がぼんやり生きてきたことを痛感したのがこの美術学校だった。
通う人の多くは陰でタバコを吸い、すこしアンニュイ雰囲気を纏いつつ、エプロンを絵の具に染めている。
美大・芸大に入らないと人生が終わると血気溢れた人々の教室は、通い始めて数ヶ月の私にはまだ馴染めずにいた。
そこに目玉触らせて、である。
こういう時の対応を私は得とくしていない。
なんと言えば、どうしたらと思いながら、瞼を閉じていた。
閉じるんかい!
自分にツッコミたくなる。
こういう咄嗟の時は決まって受け入れてしまう質の私。
この質、どうにかしたいが今だに変わっていない。
さて、目玉を触って気が済んだ彼女は「わたしの名前はウンタマというの、運に多摩美の多摩、よろしくね」と言って手を差し出した。
確かにテクノカットしてサスペンダーのついた黒のショートパンツと半袖の白シャツの出立は、女性的な男性で、お隣の国の人で、名が運・多摩というのだわ、と私に理解させた。
まったくちゃぷちゃぷな私である。
この日をきっかけに、日に日に運多摩と話す機会が増え、お昼を食べる時、帰る時も一緒に過ごし、謎がわかってきた。
運多摩は同い年の女性で、50kmほど離れた場所に家族と住み、実家は金物屋さんで、電車で通ってきていること、
お兄さんがいて、自分は東京の多摩美術大学を受験しようとしていること。
愛の世界は限りなく広いものなのに人の価値観や世界が小さいこと、
見ようとする目をもっていないことなど。
彼女が夏期講習中に私にくれたものがある。
プラスチックで出来たコンタクトレンズ。
これで覗くと全てがプリズムのようになって、この世はまるで違って見える。
夏期講習が終わり、運多摩がこなくなると、なんだか寂しく心細く感じた。
でも、以前よりはすこし美術学校に自分の居場所を持てるようになっていた。
そんなある日、運多摩から家に封書が届いた。
封を開けると紙の上でなんとかしがみ付いているガガンボみたいな字が連なって
「これは今、一番好きな音楽です。聴いてね。」とあった。
中にあるカセットテープには大貫妙子「動物パネル」と書かれている。
これが私が初めて聴いた大貫妙子さんの曲だった。
『運多摩、今夜、初めて大貫妙子さんのコンサートに行ってきたよ。
あの美術学校のこと、運多摩との縁、あなたが言っていたこと、悲しんでいたこと、
そしてちゃぷちゃぷな自分のことを思い出しながら聴いていたよ。
今はどこでどうしているの?
当時、私らしく自分であれ!と支えて、守ってくれてたこと、今頃にわかったよ。』
ありがとう、とても言いたい人。
運多摩、
本名、竹内環さん。