父の入院

入院も手術もしたことのない90歳の父が先週から入院している。

結婚60年のお祝いを昨年した両親。

60年も健康でいれること自体がすごいことなのに、夫婦共に健康長寿は更にすごい。

そんな父が先週から初入院して、母は人生初一人暮らしを経験している。

父は孤独な生い立ちからか、自己中、偏屈、頑固、強固、堅物、意固地、誇示・・・と兎に角、固そうな言葉しか浮かんでこない。

そして、大便秘になった。

数ヶ月前から自力で排便できなくなっていて母の手を借りていたが、

糞詰まって、とうとう入院することとなったのだ。

入院して調べると腸がほとんど動いていないらしい。

認知もなく、脳もしっかりしており、体の検査ではどこも異常がないらしい。

90歳なのに!とこれもまた感心することではあるが、

初の入院で父はすっかり病人らしくなってしまった。

薄手の柄の主張のないパジャパも似合い、

すりすりと歩くスリッパも長年の付き合いのものに見える。

そして何より、洗面台にある名前の書かれた入れ歯ケースが何年もここにあるような

違和感のなさ。

大木の如く、がっちりし、背筋力も某大学で記録を出してから最近まで抜かれなかったという持ち主の父、しかし今、父が病室にいても馴染んで見えるのは、この1年間、あちこち不具合を訴えはじめ、徐々にイメージしやすい方向に進んできた所以だろう。

「暇だ」と父はポツリ呟くが、家にいるころ、身体を動かす体操や竹踏みやらをアドバイスしても馬の耳に念仏。

今となっては面倒臭いといって放り投げた小石が、しなかったあれこれの代償として大きな岩となって落ちてきたようだ。

老いたくはないと頭では思ってきたが、その防止をサプリメントだけに頼り、労働以外に具体的に体を動かすことや、人との交流などはずっと拒んできた父。

最期の自分はこのようなイメージをしていたのだろうか。

父を見ていて、私は自分で納得いく最期にしたいと、そのための生き方をより模索したいと思う。