昨年の冬、サウナの帰りにGOアプリを使いタクシーに乗った。
帰路に向かうのに、その運転手は私を乗せてからずっとタクシー仲間の批判や、世の運転手のダメ出しなどを話す。
私は、聞きながら気の毒に頷き、返答もしていたが、彼は最後は壊れたラジオの如く一人で話をしていた。
そして今日、歯医者帰りにGOアプリを使ってタクシーを呼んだ。
乗るとタクシーの運転手は側にいる他のタクシーに舌打ちをして文句を言い始めた。
あれ、この声、聞いたことある、あのラジオマンタクシーだ。
彼は私にもちろん気が付かず、あの冬の日と同じ話を始めた。
同じ運転手を批判し、世の運転手のダメ出しを。
今度の私は聞いている風に時折返事はしたが、携帯で仕事の返事のメールに追われていたので、ラジオマンの相手をしていられなかった。
それでもラジオマンは話し続ける。
やっぱりラジオだ。
文句も、登場人物も、例え話も冬と同じ。
乗った場所は全然違うのに、2回も同じタクシーに乗り、同じ話を聞かされるなんて。
思うと、出会いの滑稽さに笑いながらも、もう相手にする気はサラサラなかった。
それにしてもこのラジオマン、乗ってきた人にこの話を毎回しているのだろうか。
よくも飽きないものだ。人、事、モノへの目線もあの冬と変わっていない。
成長はないのか。
もう春だと言うのに。
冬の私は気の毒と頷いていたが、今度の私は同じでは無い「いい加減、成長したまえ、ラジオマンよ」
今は春だぞ。