言葉を意識したのはいつからだろう。
はっきりと記憶にないが手元にあるのは小学一年生からの詩集。
授業だったのか定かではないが原稿用紙に下手な字で、
日頃、目にして感じたことを書いている。
この頃からだろうか。
2年生の時、「机の上の菊の花」という題で詩を書いた。
「お母さんが菊の花を切っていた。
わたしはそれが欲しいと思った。
短く切ってしまった菊をもらい花瓶に入れた。
白と銀の花瓶に入った菊の花はとてもきれいです。」
こんな文章だった。
これまで何度かこの詩を読み返して「なんと、なんともない詩なのだろう」と思っていた。
今、この詩を読み返すと、書いた自分を愛おしく抱きしめたくなる。
もし、菊が短く切られなかったらどうしていたのかな。
欲しかったけれど言えないでいる私が目に浮かぶ。
初めて自分の机に、自分だけの花を置いた緊張感を思いだす。
なぜ緊張したのだろう。
水だけで綺麗に咲いている目の前の花を私はどのくらい長生きさせれるだろう、
そう思った。
「なんと、なんともない詩」と思ってきたけれど、
歳を重ねて、なんともない詩はなかなか書けるものではないことを知る。
そして今年、詩をもっと人の心に届くように書きたいと思い、
生まれて初めて人から書くことを学ぶことにした。