来年3月、両親が結婚して60年になる。
高齢社会の日本で夫婦2人が元気で生活している家庭はどのくらいあるのだろう。
経済力、気力、体力、健康力、食欲力に行動力。
60年も2人元気にいることは奇跡に近い、自分が老いる分、最近思う。
それならば貴重な2人の残りの人生のためにも、そしてこれまでの人生の労いもかねて
両親が計画倒れして行けなかった生まれ故郷、ご先祖の墓の旅を企ててみようともった。
青森県津軽、山形県米沢。
早速、この旅に姉を誘ってみた。
快諾してくれたので、残るは老犬の世話問題。
ちょうど姉と実家で会うことがあったのでこの旅の企画を両親に話してみた。
2人はまったく後ろ向きな様子を見せず、提案に頷いてくれた。
最後に「それで老犬の純ちゃんのことだけど、一緒の旅は無理だから、3泊4日の間、ペットホテルに預けましょうね!」と切り出すと母が想定内に「大丈夫かねー、我慢できるだろうか」というので
「純ちゃんが天国に召されるのを待っていたら、お2人が先に召されて天国の旅になっちゃうからね」と言い放った。
的を射すぎたのか、両親はどちらも口を開かず、数秒静かになった。
もちろん、射すぎてもよいと思って私は言ったのだ。
何故なら老犬に気をつかって旅行をしない2人に、いつまでも2人が元気に、潤沢な時間がこの先あるのではないと思い知ってほしかったから。
この旅が決定してから、桜の季節がよいかな、どこの旅館にしようと思い巡らす私の脳裏に浮かぶことがあった。
もしこの企画が10年早ければ、両親は73、79歳で今より元気で歩けただろう。
しかしこちら側が十分な資金と時間を持って、心置きなく旅を企てられたかというとそうでもない。
今だから、時間とお金も用意できるのだ。
高校生の頃に ”いつか自分のお金で両親を旅に連れていってあげたい”と思っていたことがやっと叶う日が来るのは感無量である。
2人がここまで自立し、健在していなかったら私は親孝行できなかった自分の甲斐性の無さを終生嘆いただろう。
まさに、正に両親の長生きには自分にとっても感謝しかない。
有り難やーと、旅の提案以来の実家に行くと両親は変わらず元気そうにしていた。
父が胸のところに何かのピンバッチをつけている。
それなーに?と訊く私に父は自慢げに「これは芭蕉で有名な山形県の山寺のバッチだ」と嬉しそうに応えた。
本当に、元気に自立しながら長生きしてくれたことに私は頭が下がった。