あれは忘れもしない、実家がまだ木造建の昭和の香りがプンプンする家のころ。
2階の私の部屋に珍しいことに父がやってきた。
机に向かって座っている私をよそ目に部屋をぐるりとみて言った
「金子みすずという詩人を知っているか?」
「知らない」と私。
「お前のような詩を書く人だが、お前よりも可愛らしい繊細な詩を書く人だ」
父はわざわざ何を言いにきたのか16歳の私にはよく分からなかったのだが、
どうやらNHKで金子みすずさんの放送を見たらしい。
インターネットのない時代、私は次の日に本屋へ向かった。
すると綺麗な色をした布製の楚々とした本に金子みずずという名前を見つけ、
私は生まれて初めて澄み透る薄氷のような繊細な詩に触れた。
「私と小鳥と鈴と」と題された詩は、当時モゴモゴしていた私の想いを整然とし、無駄なく表現されていた。
「・・・みんなちがって、みんないい。」
これまで誰がそんなことをはっきり言ってくれただろう。
その詩らに魅せられ、すごい詩人を仰ぎ、己の手元のメモの詩が情けなくなったことを覚えている。
時代と環境と繊細さゆえの不遇さで、みすずが自決したことを知った時はショックだった。
先日、父が家族で晩酌している時に言い放った
「ほら、みんな違ってみんないいって言う詩があっただろう。あれではダメなんだ。
みんな違っていいって言ってばかりいるとこう言う世になってしまうんだ」
もう何十年も経つのに、父はあの詩を頭の中に残し、この世を見ていたのかと驚いた。
「えー、みんな違ってみんないいは、そういう意味ではないでしょ」と直ぐに返した姉。
「そうよ!みんな違ってみんないいを教えたのは父じゃないか!」と心でいう私。
とは言え、父が言いたいことは何と無く理解できた。
昭和9年生まれ、戦争・敗戦・さまざまな矛盾や理不尽と都合の中で生きてきたのだから。
今は、私と小鳥と鈴はみんなちがってみんないいが、生きている世は同じなのだとちゃんと認識しつつ、ということか。