30歳で亡くなった祖父

私の父の誕生日は11月3日。

といっても戸籍上で、本当の誕生日は8月らしい。

先日、3日で父は90歳、卒寿になった。

その前の晩に、私はベッドに入ってふと思ったのだ「父も本当の父のことをもっと知りたいだろうな」。

私の実祖父は肺結核で子(父)の誕生を知らずに30歳で療養所で逝った。

父は直ぐに養子に出されたので、本当の父のことを18歳まで知らされずに育った。

父の実父の名前は津軽藩(津軽家)の津軽常雄という。

秩父宮の側近の近衛兵をしていた。

津軽家から近衛兵を希望し、肺結核になり療養を勧められ伝手で北海道に来たという。

その頃はすでに迫る死を覚悟しており、世話人の女性を愛したこともあってか、帰ってきなさいという津軽家の両親の言うことを聞かずに北海道に留まったためお家を勘当されたらしい。

父は随分あとになってこの話を実姉と再会し聞いたのだ。

その時、たった一枚貰った祖父の写真を父が私に見せてくれたその顔は、私の姉によく似ていたのだ。

2日の夜中、べッドで近衛兵をインターネットで探していると、近衛兵が2万人近くいたことを知った。

近衛兵を何期と期ごとに区切っており、そして名簿が期ごとに存在することもわかった。

しかしこの中から探すには私の残る人生を全部使っても探せないだろう。

津軽家も、藩も調べた。

ひとつ、常姫という人がいることがわかり、この女性の兄か弟なのではと、「常」だけの繋がりで細やかな夢を見た。

インターネット検索は気づくと90分近く経っており、すっかり肩が冷えていた。

結局、父の誕生日には何らかの証拠をプレゼントできなかったが、

「昨晩ね、近衛兵を調べたらね」と身内が集まった父の祝いの席で切り出したら、姉も写真の祖父が自分に似てると思ったと言いはじめ、祖父の話題で賑やかな時間になった。

父はここ最近に無いくらい上機嫌で、美味しそうにお酒を呑み、嬉しそうに会話をしていた。

それだけで、十分だよ、と祖父が私の耳元で言った気がした。