ひょんなことでブログを書かない暮らしに苦しくなっていたところ、ブログのファン歴の長い、いちファン様よりメールを頂戴し、カーンと再びリングに復活した私ですが、
誰だか存じ上げないファン様が、実によく私という生き物を表現されていたことに、驚きと共にそうなのね私って、と教わった次第の先日。
この話をメル友にお話ししたところ、「kaolineさんの言葉は気持ちがよく読み取れて私も好きなので、楽しみにされているファンの方のお気持ちがよくわかります」とお返事を貰い、これまた驚きと共に、そうなのね私って、とまたまた教わった次第の今朝。
そんな過分な表現をいただけるのは有り難いことですが、こんな私も15歳の時に言葉が少なかったせいで、大好きな想い人を知らずに思いっきり振って引きこもりにさせてしまったことがあります。
それを人伝に知った16歳の冬、彼に心から謝りたくて、書き足りなかった言葉を伝えたくて、どの面下げての状況で、連絡をとり、会いに行きました。
今でも忘れられない彼の歯に噛んだキラキラした笑顔。
15歳の時、その想い人の渾身の想いで書いた手紙を受け取った私は(そう、両想いだったのです)、小学生の頃から好き過ぎる人だったので、”交際すればいつか別れる日がくるだろう。それなら一生縁が続く親友になりたい”と思い、
それをとても短い言葉で手紙に書いてしまったのです。
オーマイガット!馬鹿kaolineです。
それがトラウマ?いえ猛省になり、自分の気持ちを素直に伝えようという意識が芽生えたのかもしれません。
そんなことを言っても今でも言葉足りないことは多々あるのですが。
ある方が言っていました「言葉は胸に刺さるもの。ナイフの傷はいつか治るけれど、言葉の傷は一生癒えない」。
彼が会ってくれたお陰で、書き足らずの真意を伝えることができ、知らずに傷つけたことを謝れたけれど、
もし、会えなかったら、
私は本当の想いを書き足らずのことによって、大好きな相手を知らずに傷つけ、引きこもりの原因をつくってしまった自分自身を死ぬまで責めていたことだろう。
その彼とは16歳の再会できた時に改めて手紙み書けなかった真意を伝えたのだけれど、
彼の求めていた関係ではなかったようで、
結局、交際なく、親友もなく、手も握ったこともなく途絶えてしまいました。
全く、こんなことなら交際した方が想い出がつくれたじゃないかと、何度自分を戒めたでしょう。
”ずっと縁を続けていたいから親友でいたい”という定義は、自己都合の表現で、恋愛に使ってはいけないものですね。
それが本心ではないのですから。
本心は「是非、交際します!お願いします!でも別れるのが怖いくらい大好きなので別れないでくださいね。約束ですよ!」これです。
あーぁ今なら書けるのに。