着物を着て、蔵で自作の作陶した器をつかったバーでもやろうと冗談半分の夢を見ている。
調理師免許を習得したのは、その夢と田舎で高齢者や老人が集るカフェでもやりながら、
作陶をするのもよいかもという淡い気持ちがあってのこと。
先日、その調理師免許の試験を受ける際に、お世話になった80代のおばさんにお礼にと札幌旅行へお誘いした。
招待という言葉でおばさんは旅行を快諾。
おばさんの家から札幌を私が送迎することを提案し、おばさんは更に有頂天に。
当日、おばさんはまさかの着物を着用で私は面食らった。
おばさんの横手には札幌で世話になる知人への手土産の大きな箱2個と、栗と煮汁がたっぷり入った大きな瓶とボストンバッグ。
わざわざ要冷蔵の大きな箱2個と大きな瓶を手で持っていくの?冷蔵便で送付したら?というと手で持つのが礼儀だという。
大きな箱の中身は肉まんとシュウマイのセット、栗煮の瓶もあわせてこれを持っての移動かと気が滅入った。
着物でいくと知らなかったがおばさんの家から飛行場までの定額タクシーを予約していてほっとした。
それでも飛行場についてから機内の席までずっとこれらを持つのは案の定わたしの役目。
おばさんは手に持つのが礼儀といったが持っているのは私である。
荷物を私が持ってくれると最初から思っていたのだろう。
北海道の飛行場から宿泊先までもタクシーにしていたのが本当によかった。
JRだったら手のものを放り投げたかもしれない(それはさすがにないか)。
電車の車窓を見たいかもしれないから電車にしようかなと一時は思ったがとんでもない。
タクシー正解!
車中でおばさんは重い肉まんとシュウマイセットが銀座三越しかなく(でもインターネットで買えるの)、
普通と違う高級品だと言わんばかり。栗も1週間もかけて作ったとずっと話していた。
その高級品の肉たらしいセットは一つは宿泊先の知人へ、一つは私の家族にという。
あら、それはそれはどうも、ならば仕方ないと重さに耐えることにした。
札幌の宿泊先での会食に他の家族もいらっしゃる話を札幌旅行に誘った際にお伝えしていたのだが、おばさんは聞いていなかったらしく、いざ、宿泊先に着くと私へと言っていた肉たらしいセットをその家族のために買ってきましたと言って差し上げてしまった。
再び面食らった。
四六時中、おばさんはこちらの耳が辛くなるほど知人を持ち上げ、自分を大きく見せる話を延々にしていた。
おばさんが咳き込みはじめたので少し黙って落ち着いたらと諭すが既に機関銃のようになっている。
お陰で2日目の朝、私の耳はおばさんの声でたくさんの穴が空いていた。
おばさんは話し相手に「わたしの人生はいい人ばかりしかいない。どうしてかね。こんなにいい人ばかりしか来ないって一体どういうことかしらねぇ」といっている。
おばさんは戦争経験のない田舎の出なので、東京に出てきてからは肩書き、名誉、育ちの良い人以外は殆ど付き合わない。
そういう人は余裕があるから親切なのだ(かも)。
肉たらしいセットに面食らう私にはこれらはあてはまらないが。
さて、2泊3日のおばさんの招待旅行はおばさんを家まで無事に送り届けた。
もちろん、手土産の肉たらしいマンセットと憎栗煮も口にすることなく、お茶代も、あごあし代もなく終わった。
まるまる全額こちらのもち出しで終わった旅行(それが招待ということでしょうか)。
今はおばさんの声も聞きたくないし、おばさんともう関わりたくないという気持ちが残ったくらい。
いや、待てよ、そうでもないか。
こんなに悪たれて暴言を書いている私に、おばさんはくれたものがある。
それは、私には高齢者や老人相手のカフェは無理という答。
こんな小さな心のわたしにはどうでしょうって。