どんな人

昨日、夕食時に作家渡辺淳一の初恋の女性、加清純子という人の話を聞いた。

冬の北海道の阿寒湖で18歳で自殺したらしい。

子供の頃から絵が上手く、天才少女と新聞に載り、数々の賞を獲り、早熟でボーイフレンドも多く、酒タバコも高校生でしていたとか。

その名前を自宅に戻り、ネットで調べて読んでいると、自分が高校生時代、美大を目指す美術学校に通っていた時のことを思い出し始めた。

そこには本当に変わっている人や、

変わっている人になりたい人や、

左利きに憧れて左で絵を描いている人や、

人としてどうなのだろうという人もおり、

私は私立の女子高等学校に通いながら、この美術学校にも通うようになって、

昼間は無難な青い学生であり、放課後からは吐出した才能もない自分を感じるようになった。

そちらの方面の仕事をするにはまず大学に受からねばならず、その試験に絵があったからやるしかなかった。

芸大を目指しているのは浪人の人が多く、現役の高校生は一握りだったが、

どの人も独特の雰囲気をもっていて、ああならないと合格しないのかとさえ思えてしまった。

ここでの学校生活はわきあいあいしていることはなく、引いてみれば皆がライバルの環境なのだから当然の空気感だったのだろう。

私は皆が行く有名美大を辞めて、芸術学科が選考できる地方の大学生になった。

久しぶりに美術学校時代の友人と会った時に、当時通っていた女子が自死したと聞いた。

どんな人だったか覚えていない。

ギリギリの、危なさと脆さのある人、

はじめからそうだったのか、そうなってしまったのか、そういう方に自分を変えていったのか。

渡辺淳一が札幌医大にいたとき、乳飲み子の私が母におぶさり通院していた話からこの話になったのだけど、

私は彼が白衣の前を開けてたなびかせて歩いている後ろ姿と、廊下にある皮のベンチに母に下されて冷たい‼︎と思った記憶がある。

乳飲み子なのになぜ覚えているのか。