”できるかな”は今日も続く

将来の夢はNHK番組「できるかなの、のっぽさん」。

子供の頃、真剣にこのテレビ番組を見ては思っていた。

あのワクワクする時間は親に”テレビに穴があく”と注意されるほど目が釘付けだった。

真剣に驚き、真剣に感動して、そして、凄いことだと毎回思っていた。

 束の間ののっぽさんの時間が終わると決まってわたしはビームを番組から浴びせられたようにそこから動けず、

思考回路も混線していた。

「どうしてなんでもできるのだろう」

混線といえば、はるか昔の黒電話時代に何番か掛けると様々な雑音の中でメッセージをやり取りするというものがあった。

「聞こえた?」

「うん、聞こえたよ」

声の相手は誰かはわからないのでやりとりがワクワクするのだろう。

わたしの声を拾って相手が話返す。

わたしも誰か知らない人に向けて声を放つ。

そんなわかならい世界に彷徨っているような時間と”できるかな”は似ていた。

テレビの中で無言ののっぽさんが言う

「さぁ、君たちもできるかな?」

「僕はこんなこともできちゃうよ」

無言なのに聞こえるその声は混線電話のように聞きたい人に聞こえる声なのだ。

「ねぇ、君は何をつくれるの?」

わたしにのっぽさんは毎回話してくる。

「わたしは、わたしは・・・」

わたしに何が作れるのだろう。

なんでも作れる気がしていた。

でも何をつくればよいのか、何をつくりたいのか。

答えることはできなかった。

番組放送が打ち切りになり、のっぽさんは消えたけれど

わたしは興味を持つたくさんのことへ向かい何でも作ってきた。

いま、のっぽさんに訊いて欲しい

「ねぇ、君は何をつくれるの?」

わたしは答える

「わたしはわたしを作れるの」

釘付けでみていたできるかなののっぽさん。

テレビからを飛び出すと、多分、こんな感じで生きてきたのではないだろうか。