昨日食べた夜ご飯も忘れる最近、
そんな頭のわたしが木工に目覚めた瞬間のことを今でもコマ送りに記憶している。
あれは小学3年生だったか。
図工の時間で電動糸鋸をつかって状差しを作りましょうというものだった。
何の木だったか、白木でとても手触りがよかった。
わたしはその頃、紫陽花の絵を描くのが好きで
”そうだ、状差しの絵柄に傘の形を糸鋸でくりぬこう”と正面にあたる板に傘の開いている下書きを描いた。
初めて触る糸鋸はすごい勢いで進む、進めば進むほど、傘の形を作り出すから面白い。
難しいカーブも器用に曲がると、綺麗な傘をくり抜くことができた。
先生が近づいてきて、ほぉ上手だなと褒めた。
と、そこでやめておけば良いのにその肌触りのよい木にまだまだ触れたくて、
今度は彫刻刀で違うところに雨を彫りはじめた。
気持ち良い彫り。
先生は立ち寄ると、雨か、良いアイディアだなとまた褒めた。
正面に一通り雨を彫ると、彫りが偏っているところが気になった。
それを直そうとどんどん彫っていたら大きな穴になってしまった。
変な穴、一つでは失敗したのが見え見えだ。
他のところにも穴を彫り始めた。
大きめの意味不明な穴が4つ空いた。
先生が立ち寄り覗くと首を曲げた。
自分でも明らかに4つの穴は変で気に入らなかったが、
綺麗にくりぬけた傘のおかげで教室の後ろの壁に上手な作品として掛けられた。
壁に掛けられたわたしの状差しと他の人のとは何かが違う、
あ、わたしの状差しは葉書と同じサイズで葉書の頭が出ていない。
そう、葉書のサイズを定規ではかり、ちらりと葉書の頭をみせる部分を差し引かずにつくってしまったのだ。
あーあ、
意味不明の穴をクリアしたのに、最後には修正のしようがないことをしていた。
わたしはこうしていつも最後に何かオチがある。
戒めとして今も自宅の壁に掛かっているが、戒めというよりオチを作る呼び水になっているかも。