強烈な思い出

東京の杉並区の小学校入学式の写真。

グランドで整列した子供達の横に黒縁のメガネをかけたロングヘアの女性の新米先生が立っている。

今でもフルネームを言えるほど、強烈にこの先生に虐められた。

何をしても怒られ、持ち物さえ「子供のくせにまだ早い」と注意さる。

一度も笑って話した記憶などない。

毎回「何故、他の子と同じようにできないの!」と言われ、

わたしはその度に

「何故、わたしは他の子と同じにできないのだろう、

何故、他の子と同じにならないといけないのだろう。

私がいて、他の子がいるとはなんだろう」と思い悩むようになった。

ビクビクとしていたことを覚えている。

緊張して私らしさなどない。

特に嫌だったのが、朝の時間にグランドで整列するとき。

整列する横の列に、違うクラスの男の子達が毎回、私を「吸血鬼!ガイジン!」と呼んでからかうのだ。

決して好意があるからかいではなく、排他的なからかいだった。

日本人以外の奴は外人と呼ぶとお母さんがいっていたという。

わたしは日本人と言っても聞く耳もない。

時には昼休みに校庭で遊んでいると、大きな声で外人がいるぞ!と追いかけてくる。

逃げると面白がって他の男の子も一緒に追いかけてくる。

初めて人って怖いと思った瞬間だった。

怖くて休み時間が終わるというのに、体育館に身を隠していたこともあった。

先生が怖く、子供も怖く、もう何のために学校へ行くのか。

苦しくて、行くのが嫌で、誰にも悩みを言えなかった。

それでも何とか通えたのは同級生の女の子のお友達が数人できたからかもしれない。

しばらくして父の転勤で1年で転向することになり心から喜んだ。

もし、あのまま、あの学校に行っていたらわたしはどうなっていただろ。

 

そう、子供は残酷なのだ。

そして大人は生きていれば大人になれるものではない。

今思うのは、残酷なことをできる子供はそうなる環境で育てられ、大人になるのだろうということ。