お終いを感じてみる

昨年12月から得体の知れない痛みが背中から右脇腹にあり、

時にはズンズンと広がり、

時にはギューンと差し込み、脂汗。

この間、自分の入っている保険を調べてみた。

新年が明けるが、時折痛み、時折痛みを忘れている。

それでも毎朝鈍痛がある。

この間、癌の文字が頭にチラホラ。

日記帳とアルバムを処分する。

ついでに過去の作品たちも。

流石に気になり2月にエコーをかける。

何も無い。

それでもこれは何か起きている、

身体を動かすと鈍痛が起きる。

鈍痛があると気分も100%前向きにはなれず、

病気を持ちながら暮らすことは大変なことだと想像してみる。

死ぬときはパタリと逝きたいと想うが、どこでパタリとなるかが問題なことだ。

自分の死ぬときはどういうのがよいのか考えたこともないことを考えてみた。

痛みは続き、いや酷くなり三月になる。

今度は血液検査もC Tを撮るがやはり何も無い。

ここまでくると内臓ではないと認識。

この4ヶ月間、考えたこと、想像もしたことのないことを頭に浮かべて暮らしていた。

そのお陰で、先送りしていたこともよく見えた。

怠惰な自分も。

お終いを想像してみることは悪くないな。

痛みの原因もわかり、不安もお終いとなったし。