何もしていないのに

今年の年明けに自分に戒めたことの一つ、言い訳しない、流されない。

自分に課したことの一つ、兎に角、やる、続ける。

こう書くと随分、ストイックな感じに聞こえるが、仕方ないのである。

何にもないのだもの。

去年、ピンチな身体の悲鳴を聞いた時、ベッドの中で思ったのだ、

このまま寝たきりになってしまったら滑稽だなと。

人生の背負って生まれた好奇心という星、これは終生変わらずゆくのだろう。

けれど、あちらへこちらへそちらへと、好奇心の芽に陽を当て、水をやり、時には土の入れ替えと栄養補充と、

忙しいのに花が咲いた試しがない。

ずずうううっと葉ばかりである。

どこかで死ぬまでに一輪咲けばよいと言い聞かせても、やはり1つくらいは花を咲かせてほくそ笑んで見たいと思うようになった。

そう、私は中年になり、この先がチラリと見えるようになったのだ。

いや、正確にいうとチラリと見えないはずなのに、見えるという一般的中年の思考回路になってしまっていることに

酷くショックを受け、改めてベッドで自分のお頭をコツンと叩き、

あとどのくらい生きるつもり?と意地悪に訊いてみる。

庭先に一輪の花か、足元に一面の雑草か。

はて、どちらになるでしょう。

思考と身体は地へ還ろうと確実に向かっていることを感じるこの頃。