踵を返す

もうびっくりである。

いや、前兆はヘンテコなメールの返事や、的外れな郵便物からその茶道の先生の人柄は感じていた。

それでも先生の家の170年ほどの濡れた屋根瓦が美しいとか、水にこだわりをもっているとか、

茶道歴の長さと海外向けにも指導していると聞いていたので老齢だから片目を閉じようと

頭に浮かぶ不安を手で払いのけて、当日は地図を片手にその先生の自宅の茶道教室へ伺った。

住所の指す場所の目に入るは近隣から浮いた異様な空気の一軒家。

庭にそびえ立つ手入れのない桜の樹と、それと戦うようにそびえ立つ茫々な竹林。

縁側の窓に掛かる厚手のカーテンはもう何年も開けて無いのでは?という様相で、

はて、玄関はどちら?と見当たら無い。

ここしかないだろうと思える入り口には枝が下がり邪魔をする。

その扉の辺りは引越しでもしたのかというような箱の山積み、ここから出入りしていませんといった感じだ。

えええええ、である。

仕事で数百件の住居を訪問したことはあるが、入るに入れ無い住居の面もちは初めて。

この家に入ると千年の埃を被りそうだな、入ったら生きて出てこれ無いかも、などと数分間、家の前をウロついた。

入らずに帰っても約束したからといってその約束を破る自分を責める必要はないのでは?と思えてきた。

こんな有様の先生にお茶は習いたくない、そうだろ?おい!と自分に問い、

そうだそうだ、いくら約束破り!と叱られてもいい。ここには入れない、入りたくない。

そう自分の声を聞いて踵を返した。

自宅に戻り、急にできた2時間の自由時間を楽しんでいるところに携帯が鳴った。

「今日、お茶の体験では?」

そう、庭の樹茫々のお茶の先生からである。

初めて聞く声はハリがあり、お元気でとてもあの幽霊屋敷と関連がつか無い。

「先生、開始時間15分前にも在宅しておらず、携帯も固定電話も連絡つかず、どこが玄関か定かでないような家には怖くて入れません」と

さすがに言えず「この度の体験はキャンセルでお願いしたくご連絡を差し上げていたのですが」と伝えると

「稽古で出かけていましたので」とのこと。

この返答を聞いて踵を返した自分の頭をヨシヨシと撫でながら、いやもっと早くに気がつき、行かないべきだろう、カオリンさん!と自分に忠告も添えてみた。