いつでもあるさ、は無い

飽和な物が溢れている現代、

だからといっていつでも在るというわけで無いことがほとほとわかった。

何の話かと?

すみませんが大してのことでなく、

ここ最近欲しいのに手に入らない物のこと。

例えばとても気にっていたベルナルドのティーカップがひび割れ、

愛用のバンブーバッグの取っ手がぶつけて欠けしまい、

好きな画家の画集をそのうちに買おうとし売り切れ

それらを今新たに買おうとしても、無い。

無いのだ。

ティーカップは廃盤でオークションでしか手に入らず。

バンブーの取っ手はブランドに修理を依頼するも20年前の商品だから部品がないと戻され

画集は迷っているうちに他人が買ってしまった。

気に入った住居のようにいいなと思って迷っていると目の前からするりといなくなることがある。

いつでも、ということはこの世には無いのである。

それでどうしたかというと、

ならばカップのヒビを自分で直せるようになろと習い始めた。通学?30講座の道のりである。

バンブーのハンドルも、しからば自分で修理しようと欠けた竹の部品の代わりになる物を探し始めた。

画集は、出逢うのを心待ちに毎日オークションチャックをすることにし、ということになった。

大切な人生時間である、いつもあると粗雑にせず、横にも置かず生きることが時間の無駄にもなら無いのだろう。