人にはきかんぼうと言われたことはないが、子供の頃、自分を何となくその部類かと思っていた。
そんなある時、家のおやつのカンカン箱に「甘かん坊(きかんぼう)」というかりんとうが入っていた。
へんな名前である、でも妙に親しみを感じたのはこの名のお陰だろう。
それで興味を持って口に入れてみると何とも美味しい。
やめられない、とまらない、の味で気づくと袋の半分を食べていた。
そのかりんとうは新宿中村屋で売っており、母が百貨店に行っては買ってきていた品物。
それが出会いだった。
大学生になり一人暮らしを始めると、まだ不安定な年頃で時折襲う自己嫌悪感や社会へ出る手前の不透明感に悶々とする日々に母が米や乾物やらと一緒にこの甘かん坊を度々忍ばせ送ってくれた。
口に入れると湧き上がる安堵感。
甘かん坊の味がそうさせるのか、甘かん坊の持つ思い出がそうさせるのか、
定かではないが定かでなくてもこの甘美な安堵感をもたらす甘かん坊は永遠の存在であった。
2年ほど前から無性に甘かん坊が食べたくなり、中々買いにゆけずに他のかりんとうで済ますと
「んー高くても満足は別ね。やっぱり甘かん坊には敵わないわ」
そんなことを繰り返していた私は先日、もうそろそろ満足を得ようと新宿中村屋へ買いに出向いた。
見当たらない甘かん坊、店員さんに居場所を訊くと
「あー、甘かん坊は一昨年で廃盤になり製造していないですよ」
なんと無性に食べたくなり始めた一昨年にそれがこの世から消えていた頃とは。
別れも言えず永遠の別れを店先で告げられ、そうですかぁ残念とだけ応えて帰宅した。
帰宅早々母にメールをした
「甘かん坊、この世から消えたよ。廃盤だそう」
すると母からすぐ返事がきた
「甘かん坊は父が作るかりんとうに似ていて、それで好んで食べていました。教えてくれてありがとう」
返事を読み母にも甘かん坊へ特別な思いがあったことを知った。
祖父も、甘かん坊も、思い出だけを残して今はいない。
そしていつか母も、わたしも、さらばの日が訪れるのだろう。
それまでしばらくは甘美を求める旅を続けるけれど。