お茶の稽古を終え、帰宅してから世阿弥の番組を観ていました。
ほぉほぉと感動ばかりして鉛筆でメモの走り書きをしましたが読み返すと読めません。
その幾つか頷いたほぉの中に、メモに頼らずして覚えている言葉があります。
それは世阿弥が「花」という言葉を用いるのですが、それは「感動」という意を含んでいること。
「花があること」とは「そこに新鮮な感動がある」こと。
人は感動を好む、感動を与えるには自分が住人になっていては駄目、
常に変化しつづけ成長をすること、といった内容でした。
安易な理解でお恥ずかしいですが、深く関心してしまいました。
感動することより、感動させることは何て難しいことでしょう。
感動させるぞ!と意気込むほど感動から遠のく気がしますし、実際そうではないかと感じます。
枯れることの無い花、秘めることの必要な花。
少しずつ日々の暮らしの中で理解を深めたいものです。