今日は月一度のお茶の教室に行ってきた。
曇り空の九段下の橋の側を通ると少し生臭く、晴れの日には気づかないことだった。
寝ているように身動きしない桜の並木に導かれながら教室に着くと
凛とした若き先生が紅葉のような大きな葉がらの着物を召されてこれからのスタートを待っていた。
お茶の歴史、そして日本の文化、そこで暮らす今の私たち、そんなことを感じる時間を過ごしつつお茶を点てた。
毎日毎日、私たちは死に向かいながら生きている地球上のどの生き物とも同じである。
ありがたいことに、どの生き物より自由という意思を持ち、選択をできる生き方ができる。
この選択をできるという生き方は、どう生きるかということそのもの。
生きながら自分という人間はどんなことを選び、生きていきたいのか、
それは自分の中でふつふつと「したい」と思っていることが教えてくれるのではないだろうか。