最近までその意味を知らなかった一月三舟という四字熟語。
月の下に三人がいるという程度の解釈で、まして仏語などとは思わなかった。
「同じ月を見ていても、その見てる立場で月の見え方はそれぞれ違う」といったような意味らしい。
月があるという事実は一つ、例えば日本では月でウサギが餅をついている、カナダではバケツを持つおばあさん、北ヨーロッパは本を読むおばさん、南ヨーロッパでは蟹、東ヨーロッパでは女性の横顔などなど国でもこんなに異なるのなら、地球上の人の数だけ解釈はあるのだろう。
かくゆうわたしも「人が泣く時に泣かないで、人がなんとも思っていないことに傷つくんですね」などど、子供の頃に言われたことがある。
まるでピントのずれている人と言われたようで、その言葉はこうして脳裏に焼きつくことになったが、
成人になり社会で働くと更に慮ることが人には通じずに、返って変に解釈されるのだなと気づく機会が増えた。
それでも慮ることはわたしの心根からのことだから、あれこれ違う方法や性質に変えることを自分にしないほうがよいのだろうと思って来た。
今もそれでよかったと思う。
わたしは月を見る一舟なのだから。