人様、生き様

近しい友人は笑いながら私のことを「三面記事好き」と揶揄する。

その原因はどうやら私の情報がもたらすらしい。

そのスタートは小学3年生のころ、43年以上も遡る。

なぜ生きているのか、人はわたしではなく、わたしはそのひとではない、この違いはなんなのか。

どこから来て、どこへ死んでいくのか、などということを考えるようになっていた。

といっても他人に興味があるのではなく、その人の想い、暮らしに、自分とは違う人の生き方に関心を持つようになったのだ。

その頃から読む本は歴史ではなく、ノンフィクションの本ばかり。

思い返せばこんなことがった。

ちょうど引越しした一軒家は部屋の窓から屋根に出れるような形で、屋根を昇ると隣の家の部屋がまる見えである。

その家には学校でも有名な秀才の、私より2、3才年上の姉兄が住んでいるのだが、

こちらは裸足で屋根に昇ってそちら様を覗き見しているのに、姉兄はずっと下を向き寝るまで勉強しているのである。

「はぁ、まるで同じ生き物に思えないな」と時折2才上の姉を手招きして2人で覗き見したほどである。

覗き見は夜空を見るついでという理由をつけて2年ほど続いたのだが、

それから数年後に会っても挨拶もなしの隣のお父様(姉兄の父)が亡くなった。

するとしばらくしてその隣の家の姉様が父の死がショック過ぎたことで精神を病み、

病院に入ることになったという。

あの楚々として虫も殺せそうもない姉様が髪をカラフルな色に染めて仮装姿で歩くのを何度か見て

窓から見ていた同じ人とは思えなかった。

人の暮らし、生活はそれぞれだけれど、その機微は”自分ではない人を感じることで自分を知ること”になったのである。

その感じる手段の一つに今でも敬意や好意を持つ人の手記や伝記を読んでいる。

それが友人には三面記事好きと言われることにつながるのだが。

わたしへの覗き見?それはどうぞご勘弁を。

今では犯罪になりますね(笑).