実家と両親

北海道胆振東部地震後、実家のある札幌に初めて帰省した。

実家に行くと地震後の停電の被害を何ら感じさせなかったが、

地震前に業者に依頼していた外壁の塗装がすっかり真新しくされ、外階段も修繕され、

庭の樹齢を増した太い幹を持つ樹木以外は新築のような家になっている。

80歳を過ぎてここまで家に手を掛ける、いやお金を掛けることは少々無駄な域に入るのでは?と思いながら

人様の財布のことだから言う権利はないと浮かんだ思考を払って実家のドアを開けた。

トコトコトコと足音を立てて迎えに出てきたのはこの家に住み始めて7年の犬。

”あー、あなたね、突然来て嵐のように去っていく。一応わたしの頭を撫でたりする人”

そんな顔をして「よく来たね」とワンもスンも吠えないがこちらを見上げてきびすを返して居間に入っていく。

両親は地震前と変わらずの暮らしをしていたが、母の髪は前回会った時より少しフサフサし、その分、父の髪は薄くなったように見えた。

夕方になり近所の行きつけの居酒屋へ親子3人で夕食に出かけことにした。

父が腰掛けるなり日本酒2合徳利を2本頼む。

父1本、私1本が飲み干したら夕食会は終了という砂時計の役目も兼ねている。

さて、ここ最近の話題は終活のこと。

84歳の父は性格もあり、なんでも早く済ませたい質で終活もすっかり終えていると自慢げに話し始める。

それに反してまだまだする気のない母は毎日着替えても困らない枚数の服と、

ムカデのために買ったような草履の数、桐タンスにはミルフィーユ状態の着物をどうするんだと父に咎められ

そうよそうよ、あれは身体が元気なうちに片付けないと困るわよ、とわたしも口を挟むと、

お前も屋根裏にごっそりある本をなんとかしろ、とこちらにも矢が飛んできた。

あれれ、風向き悪くなってきたぞ、と今度は話題を変えるが気づくとまた父が終活の話に戻している。

運転免許証を返納してすっかり元気がない、

畑もできなくなりすることがますますない、

もうそろそろお迎えなのでは?

同じ歳の人はみんな死んで、わしだけ平均寿命を超えている。

そう父は元気に話す。

母は父が死なない、それはまだまだずっと先のこと、そうどこかで思っているようだ。

父が死んだらいくら年金を貰えるか役所に訊いておけと父に言われ涙目になっている。

私は父に84歳などまだまだ、マレーシアの大統領は92歳でまた返り咲いたよとまた話を変えるが矢は父には届かない。

私の腕ごときでは最適な矢はまだ射れないと今回の帰省でも感じながら、山の端の向こうに今年の冬を見た。