真夜中のカップヌードル

大学生の時代、

工房で石膏形成やデッサンや、木材の削りなどしていると夕暮れ時にはお腹がなっている。

かといって学内の売店も閉まっており、小腹を埋める物を買う先はない。

そんな学生を見越してか工房の入り口に一機の自動販売機が立っている。

前に立つと「おいでまし」とでも言われながら神にすがるようにわたしは頭を垂れて息を飲む。

わたしはそれまでカップ麺を買うという習慣がなく、

しかもそれを店ではなく自動販売機から買うという不思議さがそうさせるのだろう。

コインを入れると神は態度を変えたように乱暴にカップの蓋の真ん中にパイプを刺してお湯を注ぐ。

「ほれ、できたよ」と愛想なくランプが消えるとそれを取り出す。

極め付けは透明のプラスチックのフォークを神のポケットを開けて取り出すのだ。

カップヌードルのコマーシャルで外人の女の子がこのフォークで麺を啜っていたように

わたしもフォークでくるくると麺を巻いて食べる。

折れそうに食べにくいフォークの仕様が妙に特別な物を食べている気にさせてわたしの脳裏に焼きつくことになった。

そのせいで今でも年に一度ほど脳裏から脳表にやってきて、わたしに「やってみて」とせがむ。

先日、その年に一度が駅に着いたちょうど真夜中にやってきた。

年に一度何が起きて、わたしにさせるのだろう。

次の朝、記憶にない昨夜の食した行動を振り返りながら考えてみると、

もしかしたら、あの18歳の時、あの工房で、1台の自動販売機との出会いが宇宙へいった心持ちにさせ、

得体の知れない孤独と対峙したのかもしれない。

一年に一度起きる時は決まって少しお酒が入り、少し孤独な感じがする夜なのだもの。