かりんとう たちばな

子供のころから止めらられないお菓子のひとつにかりんとうがある。

すごいカロリーだとわかっていてもなかなか止められず

かりんとうの袋を一度閉じても、また開けてモシャモシャ食べてしまう。

意思がかりんとうにはどうにも勝てない。

だからなるべく買い物先でもお菓子売り場のかりんとうの前を通らないようにしている。

数ヶ月前、仕事先のお客様のお宅に伺うと、どこか懐かしい見たことのある円柱の缶が目に入った。

見覚えのあるその缶はまさにかりんとう”たちばな”の缶だ。

遠目でもわかる朱色の円柱の缶との出会いは母が持ち帰った40年ほど前にも遡る。

缶の凛とした佇まい、過剰にない飾りが子供ながらも粋を感じるかりんとう様だった。

長年すっかり忘れていたことを思い出し、自分でも買ったことがなかった。

店も素敵な粋のつくりと知り、それでは買いに行ってみるか?となんどもお店情報を調べては何時行く?と自分に問うこと1年。

やっと昨日、住所を頼りに銀座8丁目のたちばなの店にたどり着いた。

3回前を通りすぎるほどの小さな間口の店はまだ16時だというのに中は薄暗く梱包された箱が店先に高く積まれていた。

閉店でもしているようなひっそりとした空間。

「あの、かりんとうありますか?」と出てきた女将に伝えると。

ありますよ、どれになさいますか?と言われ、

憧れの太った円柱の缶を指差し「これを!太い方のかりんとうで」と言えた。

品の良い包装紙に平たい紐、3000円ほどのかりんとうだ。

帰宅して1日ほど缶の前を行ったり来たり、触ったりしていた。

食べるのがもったいない、けど食べてみたいという思いでの葛藤。

はじめて食べる太い方(正式名はころという)をかりんと音立てて口に入れた。

ほぉこれが!とまるで数千万円でもする宝石を食べたような心持ちになり、ツヤツヤしている缶に見惚れていた。

ふと、缶の蓋のつまみ部分がこんな高級な細工だったのかと気づいた。

子供のころに見た記憶ではここに繋ぎがあったような・・・と眺めながらわたしは缶フェチのところがあることを自覚した。

好物のかりんとうと粋な缶の佇まいがたちばなに恋い焦がれた理由だとこれまた40年ぶりにわかった。