自分の言葉

ぴょんぴょん移る住まい、

ヒラリハラリと変わる職場

そんなわたしに昭和一桁生まれの父は言った

「同じ所でコツコツ積み上げていくのが仕事というものだ」

当時わたしは20歳後半くらいだった。

今50歳前半、

引っ越しは生まれてから30回は超えたと思う。

職場は会社やアルバイトなど含めるとおおよそ30社は働かせていただいただろう。

一部上場の企業に勤めていてもしたいことが新たにわたしの中で更新されると

さらりと辞めるのだから企業人としては向いていないのだ。

「同じことを続けれない飽き性。飽き性ゆえにその道のプロになれない」

姿なきささやきが時折聞こえる。

それでも企業に移るたびに新事業や構築をする羽目になるので心身全力投球。

結果いい感じになるぞという頃にはわたしはその企業にはいない。

その仕事の花が咲いて、

「実がなって、当時の同僚はパクパク美味しく食べているのに何故あなたはいつもそこにいないの。

せっかく尽力したのだからあなたにも実を食べて欲しいと思うのよ」と母にも何度か言われたことがある。

わたしのことを思って父と母は言っているのだとはわかっても

その価値観はわたしらしく生きたいともがいている私に余計もがきを多くしていた。

ぴょんぴょん、ヒラリハラリを繰り返しているとここ数年見えてきたものがある。

現状を維持していれば平穏で安心だが、新鮮な気づきと学びの感動は得られない。

生命を持つ人として成長したいと願うわたしは肩書き、名誉、通帳の残高を気にする生き方は興味がなく

死ぬまでに1ミリ、1グラムでも心豊かになるための肥やしを求めて変化することに興味があるのだ。

こう自分の言葉にできるまでになんと永い歳月がかかったのだろう。

父も母も存命だがこの言葉をいま改めて伝えるまでもないと思う。