外に出ると頭上空高くから雲雀(ひばり)のさえずりが聞こえた。
雲雀に何されたわけでもないのに声をきくと心のどこかの古傷がちくりと痛む。
大学1年生の時、サッカー部のマネージャーをしていた。
サッカーに興味があるわけではない。
草原でボールを追う部員よりも、上でさえずる雲雀が気になった。
大学時代のほぼ4年、私は自分のことで手を焼いていた。
「なんで人間に生まれてきたんだろ。あの鳥のほうがよかったな」とこぼしていた。
心が晴れて清々しいということから遠い日々、窓のない長いトンネルをずっとさまよっていた。
銭湯通いも、買い物も、タクシーを拾うも、バスに乗るにも何するのにも
その学生街では今でいうストーカーがおり、あらぬ噂も日常茶飯事だった。
髪の毛を切られたり、バッグに手紙を入れられたりと段々身に怖さを感じ、
誰か普通に話せる人が欲しいとちょうど勧誘していたサッカー部に入部した次第だった。
プロテスタントの私立の女学校に中高等学校と通っていた環境から
男性の多い建築、工芸の大学進学はかなり厳しい環境の変化だった。
この日々はすごい不安と自身の無さで私はストレスでいっぱいだった。
その思い出が雲雀のさえずりを聞く度に思い出すのである。
昨夜、お風呂上りにまだ逆立ちできるかな?とふと思い、
両手をついて、足で床をけって逆立ちをしてみた。
4回目で直立した。
トンネル時代によく逆立ちをしていたことを雲雀の声で懐かしく思いだしたのだが
変わらず逆立ちできたことは私にある喜びをもたらせた。