社会人になった記念にと自分で買った万年筆がある。
もう25年前になる。
どういうわけか、幾たびの25回の引越しの間も
ずっと失くならず、処分もされず側にいる。
蓋とお尻が銀でできており、握る胴体のところは黒のレザーで、実にシンプルな万年筆だ。
今朝、筆箱の掃除をしていて久しぶりにその万年筆の蓋をとりソリソリと紙の上を撫でてみた。
細い繊細な線が紙の上に現れ、私は予想外のその線にドキリとした。
無性にその真っ黒になった銀の部分を磨きなくなりシルバー磨きの布で一気に磨いた。
手が真っ黒になりながら、何度も擦っていると銀は少しづつ息を吸うかのように輝きだした。
ごめんね、ごめんねと心が謝り始めた。
25年もの間、一度も磨くことがなかった万年筆に詫びたくなったのだろう。
お尻の部分は磨いても酸化した部分は取れなかった。
磨くのが遅すぎたのだと残念になり、物には時期があるのだとまざまざと感じた。
真っ黒になった手を見つなめがら人間の体も時期はあるが、
心には磨いて遅いということはないのだと思った。
星も月も太陽も、この世にある物は古くなっていくのに
心だけはいつも、死がすぐそこまで来ていたとしても
いつもすぐ新しくすることができるのだ。
そのことを、磨いた万年筆で書き留めた今朝である。