お彼岸に帰省した際、今夏完成したという80歳の父と75歳の母が入る墓を見に行った。
姉も入れて4人で乗用車に乗り込み父の口頭ナビで墓へ向かう。
道中、未だに運転をしている父は人に運転してもらうのは楽だなと喜んでいる。
家族4人で車に乗ってどこかに行くというのも数年ぶりのことだが
向かっている先がこれから入るであろう両親の墓なのでなんとも変な心持ちだった。
私は助手席に座りながら「このまま皆んなで天国に行けたらいいのに」と思っていた。
誰が看取る、誰が世話になる、世話をするという今の世間では当たり前になっている会話はどうも苦手で
命の順番だから仕方の無いことだとしてもやはり切ないことである。
墓に着くと父が写真を撮って欲しいという。
父が気に入って入れた文字「謐(ひつ)」と刻まれた墓石の前に立つ両親。
私はちょっとやるせなくなって「はい、ではこの墓に入るお二人の入る前の記念撮影ですよ」と
おどけてカメラを向けた。
撮り終わってから父が私に「頼むな」とポツリと言った。
真剣に言葉を聞くと泣き出しそうになり、やはり入る人との墓の下見は辛かった。