わかさゆえ

振り返ってみると、これまでの人生で一番長いトンネルにいたのは

大学に入ってからの4年間である。

何も18歳という水分と夢ではちきれんばかりの年頃に

長く暗いトンネルに入らなくてもと思うのだが

その水分の重さと漠然とした夢への拘りがツルハシ片手にトンネルを掘りに行くことに

なったのである。

一向に明かりの見えないトンネル内は苦しみしかなく、

自問自答をするが自問ばかりして答えが出ないことに苛立ちさえ抱いていた。

掘りながら「あー電動ドリルを持ってこればよかった。懐中電灯だっているでしょ。

それに私はなんで裸足できたのか!歩けば怪我するではないか。ブツブツ」と

無い物のことばかりが気になり

手に持つツルハシのことなど感謝の一つもしていないかったのである。

無いことばかり数え、あるものに気づけなかった。

私は親から十分な生活費を与えてもらい、美術画材も買い、

病気、怪我一つせず、空腹にもならず、

髪も切り、洋服も買い、映画を観たりフォションのケーキやお酒も食し

随分と贅沢な生活の中、入る必要のないトンネルを自ら作り入っていったのである。

長く暗いトンネルはわかさゆえの無知からなることで、

自分に駄目出しばかりしていた。

もしあの時に、あることに感謝する私だったら今はどうしていただろうと、

ふと思うのこの頃である。