「田舎のねずみと都会のねずみ」この絵本を読んだ子供のわたしは、困ったなぁと思った。
「わたしだったら....」と自分に置き換える癖があるわたしは、この絵本を読んでどちらのねずみの暮らしを自分は選ぶかな、どちらの暮らしがよいだろうと決めきれなかったのだ。
田舎のよさも分かるし、都会の魅力も分かる。
自分ならどちらの暮らしを選ぶだろう....
考えあぐねているうちに、わたしはどちらを選ぶという2者選択から外れ、どちらでも無い生き方がいいなと答えをだした。
こういう答えを出してしまうわたしは生まれ持った気質なのだろう、旅に出ることになった。
「田舎のねずみ?それだけじゃつまらないな、都会?ずっとじゃ疲れちゃうよ。
他の生き方もあるのでは?どちらでもない、他のねずみで生きていくわ」。
絵本を切っ掛けに他のねずみを目指した子供時代のことを、昨夜久しぶりに思い出した。
最近、親のいる田舎に帰り、すこしでも安心させたいと思っているからだろうか。
しかしながら21世紀のねずみは都会から田舎へ転居したくても仕事がない。
田舎でいざ暮らそうと仕事を探しても若くないねずみは田舎にいけないのでる。
だから都会にねずみが多いのか。
はてさて、わたしは自分で都会から田舎へ渡る橋を造らねばならないようだ。
その他で生きるねずみは手先も器用でなければならぬようである。