小学生の低学年から前の晩に明日来てゆく服をコーディネートするのが日課だった。
その当時売っていないような叔母達の古着はボタンやリボンが心憎いほど素敵で、また叔母3人分の服を毎日くるくる着替えるほどたくさんあった。
それがわたしの服装の礎になっているのだと思う。
中学生のころは世間はアイドル時代で、タケノコ族やアイビールックやハマトラやテクノなど様々な呼び名のあるファッションが始まった。
どれも試したことがないのはどこか自分の中で自分のスピリットに合ないと思っていたからだ。
服装はインテリアと同じくその人成りに添うものだと感じている。
自分の身体、魂を包むものなのだ。
ニューヨークに住む90歳を過ぎたある女性が言っていた
「私は年齢に応じた格好というものは信じないの。
ただ自分なりの主張をもってそれに自信をもつといいわ。
明日には新しい1日と新しいスタイルがあるんだもの」。
北国に帰ると姉がわたしを見て言う
「えー、この町にそんな格好している人なんていないわよ」
この言葉を聞くとほくそ笑むわたしなのだ。