8歳の頃、亡くなったセキセイインコを家の庭に埋めながら想った。
この私が住んでいる家の下、この庭、私の足元の下、死を迎え眠っている生き者がきっといるのだろう。
このセキセイインコの前にも眠っている生き者はどれほどいるのだろう。
この大地に眠る者、それは屯田兵かもしれない、熊に襲われた開拓者かもしれない、マンモスかもしれない。
どの生き物が眠っているかは計り知れないが、何らかの生き者がこの大地の下に下に横たわっているのだ。
たくさんの生き者が眠っているこの足元の下の下のほう。
今、この大地を踏みしめて生きている私。
そして私の番なのだ。
さて、私の番に何をする、どう生きる、このステージで、と自分に問いかける日が始まった。