確か3歳のころから右手、左手でも字を書いていた。
疲れると反対の手を使う。
スポーツも左右平等に使っていた。
将来不憫だろうと心配した母は私が通っていた幼稚園の園長先生に相談をした。
「そのように脳がなっているのだから、無理に直してはいけませんよ。
無理に直すと脳が混乱するからそのままにしておいて下さい」と言われたらしい。
母はそれに従い一切、両利きを注意しなかった。
しばらくして私の右、左は自然に自分自身で区分していった。
書くことと食べるのは右手。
力のいること、スポーツは左手。
バランスは右足で、蹴るのは左足・・・
すくすくそちらの方は大切に育てられたのだが、
おっとりした性格を母に矯正される日々が始まった。
「早くしなさい」
「しっかりしなさい」
「何でできないの」
「ちゃんとしなさい」
「ふざけるんじゃありません」
駄目だしの日々が続くのである。
左手でクルクルと亜土ちゃんみたいに描く子供がどんな性格か母は考えたことがなかったのかもしれない。
まさに馬耳東風だった。
今でも早いことが美徳?となっている実家ではのろのろしているとクレームが来る。
あぁ、あの時、園長先生が「この子のおっとりも大切なことだから見守ってあげなさい。脳が混乱してしまいますよ」と母に言ってくれていたら私の人生は随分ちがったかもしれない。
うーん、かなり違ったはず!