
里帰りをして家族で方々の墓参りをしてきた。
母方の墓は祖父一人しかまだ入っていない。
もともとは山形で生まれた次男坊で、最後の住処になった札幌に墓を買っていた。
父方の墓は一緒に住んでいた祖父母が眠っているが、他に誰がどれだけ入っているのかよく解らない。
父は長男だがその墓は血縁が無いからと札幌市内に墓を買っている。
そこに母と二人で入るらしい。
墓参りを終えて自宅のリビングで休んでいると父が2階の書斎からメモを片手に降りて来た。
「これ、どうだ?」
母にメモを読ませる。
「なんですか?これ」母が尋ねると父は墓石に刻む言葉だと答えた。
「どれどれ、見せて」私はそのメモを受け取る。
いくらメモでもチラシの裏紙を使うとは父らしいなと苦笑しながらそのメモを読んだ。
「静謐。人々が安泰なこと。世界が整うこと」
この言葉も父らしいなと思いながら、静謐とは石に彫りにくそうだ。
「ねぇ、その静謐、読めない人もいるからルビふったら」ふざけて私が言う。
「いやねぇ、書斎で何しているかと思えばこんなことしているんだから」と母。
「小さい石でいいんだよ。何もあの世に行ってまで見栄を張ることはない」と父。
すかさず母が言う「いやですよ、あーこの人達は生きている間、大して働かなかったんだなって思われます。ちゃんと大きなしっかりした石でないと」。
母らしいなぁと思いながら、実家の家具や家電やら何やらが全て大きく物に溢れているのが頷ける。
「大きな石じゃ掃除も大変でしょうし、そんな大きい墓石でも2人しか入らないんだから小さくて十分じゃない?ほら、パパさんが好きな小鳥の水場にしている庭にあるあの石を半分に切ってはどう?」と私。
「そうだ、あの石もいい石だぞ」と真剣に答える父にかぶせるように母が言う。
「いやですよぉ、あんな鳥が散々水飲んで使用した石なんか」。
あぁ、いつものパターンで父が母の意見に折れて大きな石を買うに違いない。
「墓に入って眠ってる人はいいけど、掃除する人の意見も尊重して下さい」私が言うとしばし間が出来た。
「お前も入っていいんだぞ。どこも行くところ無ければな。わっはっは」父は真顔でいい始めた。
雲行きが怪しくなって来たので私は近くにいる犬に話しかける。
犬の背を撫でながら、こうして自分らが入る墓をあーでもないこーでもないと話している不思議さが
とても幸せなことだなぁと改めてご先祖様に感謝する午後であった。