鯛飯

18歳からの学生時代、一人暮らしを始めたので雑誌「クロワッサン」の別冊の料理本200ページと「オレンジハウス」の家庭料理本376ページに掲載されている料理を全て作ったことがある。

まずはオレンジハウスの巻頭ページで調理器具の説明を読み、米の研ぎ方、灰汁の取り方、魚のおろし方などを学び、本編に入って行く。

クロワッサンの料理本は著名人の方々が自分の好物料理として紹介しているもので、塩梅が適当な表現で書かれてあった。

毎日作っていると1つのコンロでも手際よく1汁3品を作れるようになり、芸術工学の学業より熱心に学び、画材代もお惣菜に代わっていた。

鯛飯の作る日がオレンジページにおとづれた。

実家では鯛飯など食べた記憶も定かでなく、もちろん作り方も知らなかった。

鱗を包丁で取る時の、あのプラスチックに似た破片がピュンピュンとあちこちに飛び散り鱗嫌いな私を悩ました。

まだ何処を切っているかわからないナマコの方が私にはずっとおとなしくて始末がよい。

後にも先にもあんなに毎日違う料理を作ったのは学生時代の4年間だけである。

あれから四半世紀。砂時計の砂はすべて落ちきりガラスの回りにわずかながらの砂が残っている。

今ではクロワッサンの酒の肴料理しか覚えていない。

しかも変わり者の作家さんが紹介していたページばかり。

あぁ、私の変わり者の片鱗はそのころからあったのかな。

片鱗?ひゃ、ここにも鱗が居る。