隠徳

中学1年生の時に華やかな器具とバレエのような動きに魅せられて新体操部に入部しました。

通っていた学校はプロテスタントの中高一貫して学ぶ女学校でしたが、新体操でも全国大会の上位になる有名校でもありました。

同期入部者は11名。

うち4名は退部、残り7名。

毎日、上級生に叱られ、部活後の集会では一人一人どこが今日は駄目だったかを言われるのです。

特に先輩や先生が何かをしていることにいち早く気づき「代わります」「持ちます」「やります」とスピーディーにすることを注意されました。

何故か一番先に気づくことの多い私は練習もおろそかに「先輩、持ち物代わります」「先生、やります」と殆ど何かをしていました。

同期の部員は私のパタパタぶりをよそ目に「気づかなかった」と練習を続けています。

1年が過ぎ状況は変わらず、2年目に入ると私はあることを思うようになりました。

”毎回人より先に気づきパタパタと先生や先輩のことを気に掛け走り回っているのは損ではないか?

他の部員のように「あ、気づかなかった」と言えば身体も楽ではないか?”と思うようになったのです。

あ、気づかなかったと続けているうち、私の中の何かが淀んできました。

練習もパタパタしなかった分、向上出来た訳でもありません。

それでも自分に他の人もパタパタしないと不公平なのだと言い聞かせていました。

社会に出てからも同じことはおきました。

でも私は決めていました。

不公平だとしても気づいた自分がやろう、淀むのは嫌だと。

誰も見ず、知らずのことを行なったことはたくさんあります。

もちろん、見ていないのだからしなくてもいいよ、という声も聞こえることもありました。

でも、やはりそうすると淀むのです。

大人になってそれが陰徳だと知りました。

人知れず良い行いと思ったことはする。

何か見返りを求めてしても陰徳には成らない。

私は子供のころから随分、陰徳を積む機会をいただいていたのにそれを損だと思っていたのです。