
とても近くにいるのに意思を伝えないと回転木馬のようにいつまでもぐるぐるすることがある。
女学校時代、スクールハウスという学校の施設に学年の生徒全員が1泊し、日頃学ばない心の授業を受けるというのがあった。
その時の授業で6人くらいの各グループに分かれ、各自が欠片を5個ずつもっており、
ある形にグループの1人でも作れると勝つというゲームがあった。
欲しい欠片を持っている人に自分の欠片を差し出して、欲しいそれと交換する。
欠片を手に入れるのだが同時に他の人に自分の欠片を取られてしまうのでなかなか完成しない。
1つ差し出して1つ欲しい欠片を貰う。
繰り返しても時間ばかり経ち、時間切れとなった。
その後の先生の説法は
「何故皆さんは欠片を1つずつしか交換しないのですか?
回りを見て横の人があと少しで形を完成しそうだと思ったなら、自分の欠片全部をその人に差し出して相手から全部欠片を貰い自分が手伝うということもできたでしょう」。
あまりの想定外のことで、自分ばかり完成することを考えていた自分を恥じた。
「こうしてくれない」「なんでわからないの?」「これが欲しい」
相手に欠片を渡さず自分の手元で集めることばかり考えていてはいつまでたっても作りたい形が伝わらず完成しないのである。
大人になってからもこの授業は時々思い出す、まさに心の授業だった。