
器によってお茶が美味しくなると感じたのは幼少の時に同居していた祖母のお陰である。
祖母の部屋に遊びに行くと子供の私に紅茶を淹れるために茶箪笥の引き出しを開け
ミルク色の陶器に結晶のような釉薬が施されたカップ、ソーサーに注いでくれた。
大切そうに扱う祖母のようすで特別な陶器なのだと子供心に感じたものだ。
祖母の生い立ちは家庭の温かさを知らずに育っており、ゆっくりお茶を飲むような時間を得れたのは父の頑張りが功を成した頃で晩年からと思う。
時折私が淹れる珈琲を嬉しそうに、そして美味しそうにミルク色のカップ、ソーサーで飲んでいた。
ある時カップの裏を見てみるとに「陶光」と書かれてあり作家のものとわかった。
祖母が亡くなり20年近くになる。
わたしは時々祖母に会いたくなると今では母の食器棚に置かれた祖母のあの陶光を出して珈琲を飲む。
そして息吹が込められた物と作家に感服しながら、出会わせてくれた祖母に心から感謝するのである。