かえり道

新しく移り住んだ街の「駅から自宅」まで

以前の山手暮らしの時とさほど距離はかわらないのだが

山手の時は1年間の暮らしで20回くらいしか歩いて帰宅したことがなかった。

駅から急な登り坂ということもあるが、夜は住宅街の街灯も暗く聖光学園のグランド沿いを一人で歩くのが長く寂しく感じタクシーに乗っていた。

しかしこの新しく移り住んだ街は夜遅くても店の明るさや通る人なども賑やかで気づくと自宅に着くという感じである。

今日もてくてく帰路を歩いていると

何だかこれは人生の帰路にも似ているなと思った。

老齢の疲れた身体をわざわざ登り坂に向かわすことはしないだろうし、

まして辺りに何も無い、微笑める出来事もないところを歩くのは道中長く感じるものだ。

帰路は夕ご飯がおいしく食べれる適度な距離がよく、

お酒を飲む小料理屋や蕎麦屋、品のよいお店や、美容室や雑貨店やら楽しめるお店があれば横目で見ているうちにこちらも楽しくなり道中もあっと言う間に過ぎるだろう。

作家ソローが描いた質素な森の生活も憧れない訳ではないが、聞けばソローは森の生活を私生活で実践し、身体を壊して結果病に伏せてしまったという。

そんなストイックな暮らしは坂道を登るのにすぐ右手を上げて車に乗る私には到底できない。

帰路は幸せにスキップなんかし穏やかな楽しみがちょこちょこある道がよい。