母の料理 ラーメン編

子供の頃、お風呂上がりに台所からヘンテコな匂いがすると、

決まって次の日の夕食はみそラーメンであった。

祖父母、父母、姉の4人家族の我が家は

まず、祖父、祖母、父、姉、私、母の順番でご飯が配られる。

寸胴鍋に得たいの知れないものがグツグツ煮込まれており、

その匂いは少々苦手で、今ではそれが鶏肉の出汁の匂いだとわかるのだが、

なぜこんな臭いスープがおいしいみそラーメンに変身するのか不思議でならなかった。

着物を着て仕事場から帰って来た母が急いで着替えて台所に立つ。

大きな中華鍋が普段使われていない戸袋から取り出され火にかけられる。

シャカシャカシャカと重そうなオタマで炒められた挽肉と野菜。

すると母から声がかかる。

「ラーメンの麺ほぐしておいて」

百貨店の包装紙を裏返しに広げ、そこに6玉の麺の袋をひとつずつ開き、

麺と格闘しながら切れないようにほぐしていると

「はい茹でるから持って来て」と呼ばれる。

タイマーで秒を見ながら麺をかきまわす母。

ラーメンの時はどんぶりの淵に渦巻きが描かれた中華柄のどんぶりで食べるのだ。

どんぶりに熱湯を入れて温める。

人数分の割り箸とレンゲを用意する。

そのレンゲだが実家では父が「チリリンゲ」と呼んでいたため、

私は25歳くらいまでレンゲをチリリンゲと言う物だと信じて何度か友達にバカにされていた。

今でも何故父がそう呼ぶのか不思議だが本人に聞いても「知らん」とのこと。

さぁさぁ、いただきます!

今夜ばかりはラーメンの他におかずはない。

祖父は「おいしそうだ!」と本当に喜ぶ夕食の時の口癖を言う。

祖母は「わたしはこんなに食べれないよ」と小どんぶりに移すが、きまって結局平らげる。

父は晩酌の後に完食。

姉は黙々と完食。

私はラーメンを小どんぶりに移し半分食べる。どんぶりのまま1杯完食できるようになったのは成人を過ぎたころである。

母は皆の分を作り上げ、いささか伸びたであろうラーメンを美味しそうに汁まで飲んでいた。

気づけば祖父母も他界し、私も実家を離れ、このラーメンをもう20年近く食べていない。

もう一度食べたいが、前の晩から寸胴鍋にグツグツ煮るのは今度は私の役目であるだろう。