
夏の終わりを話してしまうと自分でも本当にそれを受け入れるようで怖かった
今日友人から聞かれ夏を終わらせたことを話した
「何よそれ、本当は自分が疲れて溺れちゃっただけじゃない」と一喝された
想定外の友人の反応に驚いていると
「結局、想像以上に暑いです。辛いですって自分が苦しくなり勝手に溺れたんでしょう」と言われ
ズドンズドンと機関銃の射的のように心に音が響いた
嫌になる、そして図星だと思った
嫌なのは溺れちゃった自分
深い海のような愛情のある気でいて、実は湯のみ茶碗くらいしかスケールが無かった中で溺れたのだ
「まだ本音言えてないよね。違うでしょ、本当に言いたかったこと」友人はまだ撃ってくる
大泣きしたのに本音が言えませんでしたなんて滑稽かもしれない
でもわたしは泣くことと本音を言えるということを同時に出来る器用さはまだ無い
強がりな自分がいる、格好つける自分がいる
嫌になる、全く
それでいつも逃していることも自覚している
「季節を一人待たされているんじゃない、一緒に頑張って次の季節を迎えようねっていうんじゃないの」もう心の的は穴だらけだ
「何なのよ、暑さを払ってあげたつもりでも、結局自分だけが涼しくなっただけじゃない。本当にそれでいいのかもう一度よく考えたら」
ちゃぷんっと湯のみ茶碗に頭まで沈む自分が見えた
小さい湯のみ茶碗か
飲む茶が苦すぎて涙がでる